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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)4988号 判決

被告人 中村俊昭 外一六名

主文

被告人杉浦迪也を懲役一年に、被告人小林春士、同村上文男を各懲役一〇月に、被告人宮本幸夫、同白石周行、同和田洋一を各懲役六月に、被告人中村俊昭、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同浜田領助、同西津洋介、同浦野義弘を各懲役四月に処する。

未決勾留日数中、被告人宮本幸夫に対し一四〇日を、被告人和田洋一に対し一三〇日を、被告人白石周行、同小林春士に対し各一二〇日を、被告人杉浦迪也に対し八〇日を、被告人福島久司に対し七〇日を、被告人浦野義弘に対し五〇日を、被告人中村俊昭、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同浜田領助、同西津洋介に対しそれぞれその刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。

この裁判確定の日から、被告人杉浦迪也、同小林春士、同村上文男に対し各二年間、被告人宮本幸夫、同白石周行、同和田洋一、同中村俊昭、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同浜田領助、同西津洋介、同浦野義弘に対し各一年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人冨沢慎吾、同小林敏之は、いずれも無罪。

理由

(犯行に至る経緯)

早稲田大学においては、昭和四四年四月初旬以降、日本マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(通称革マル派)の学生と社会主義青年同盟解放派の学生組織である反帝学生評議会(通称反帝学評)派を主とするいわゆる全共闘系学生との間に、学園闘争およびいわゆる七〇年安保闘争等の進め方をめぐつて対立抗争が激化し、両派の学生らは、しばしば同大学構内等において角材などを用いた実力による衝突を重ねていたが、同年七月以降、当時同大学第二学生会館を占拠中の反帝学評派等全共闘系学生と、そのころ同大学大隈講堂を占拠した革マル派学生とが、それぞれ右建物内に多数の石塊等を搬入したうえ、たがいに投石するなどして対決し、さらに同年八月下旬ころには、反帝学評派等全共闘系学生が、同年九月五日に予定されていた全国全共闘連合結成大会を、革マル派の拠点で、同派の学生らがバリケード封鎖占拠中の同大学文学部構内に所在する同大学記念会堂において開催する旨主張したことなどから、同じく右記念会堂において自派の大政治集会の開催を予定していた革マル派学生を強く刺激し、両派の対立はますます緊張の度を加えていつた。そこで同大学当局は、両派の実力による衝突を回避するため、同月三〇日ころ、両派に対し同年九月一日から同月六日まで右記念会堂の使用を禁止する旨通告したが、革マル派学生は、反帝学評派等全共闘系学生の右動静に対応して、右学生らの襲撃に備えるため、同月一日ころから同月二日ころにかけて、特別行動隊などと称する部隊を編成し、かつ学生ストライキ中である同大学文学部の正門および構内各所のバリケードを強化するとともに多数の投てき用のコンクリート塊等を同構内建物の屋上等に配置し、他方反帝学評派等全共闘系学生は、同月二日全国全共闘連合結成代表者会議において、同月五日の全国全共闘連合結成大会は会場を東京都千代田区所在の日比谷野外音楽堂に移して開催することに決定されたものの、このままでは革マル派に屈服したことになるとして、あくまで革マル派に対する対決の姿勢を顕示するため、約五〇名の遊撃部隊を編成し、同月二日夜右部隊によつて同大学文学部を襲撃することをあわせて決定した。さらに同月五日、多数の反帝学評派等全共闘系学生らは、前記日比谷野外音楽堂において開催された全国全共闘連合結成大会において、革マル粉砕の行動指示を行なうなどしたうえ、右大会終了後の同日午後八時ころから同月六日午前零時ころまでの間、革マル派学生らが現に占拠中の同大学文学部周辺地域に進出した。すなわち、同日午後八時ごろ多数の全共闘系学生らが地下鉄早稲田駅に下車し、警察官の規制を受けながらも、同日午後八時二五分ころ約四〇〇名が旗ざお、石塊を携行して「早大奪還」などとシユプレヒコールをくりかえしつつデモをして、付近の馬場下交差点を経て同大学大隈講堂前に至つて気勢を挙げ、警察官に対し投石するなどし、また約三〇〇名の全共闘系学生らが高田馬場駅に進出して同駅前で集会を開き、同日午後一〇時すぎころ早稲田大学に向つて出発し、警察官の規制を受けるなど緊迫した状況が生じ、これらの全共闘系学生らが右文学部構内にいる革マル派学生らに攻撃を加える具体的な可能性が存在していた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人杉浦迪也は、革マル派に同調する早稲田大学学生であるが、

(一)  昭和四四年九月二日反帝学評派等の全共闘系学生の間に、前記のように遊撃部隊による早稲田大学文学部襲撃の動きがあることを察知し、同日午後六時ころ、右学生らが同大学文学部を襲撃してきた際にはこれを迎撃し、右学生らに対し多数の革マル派学生らと共同して火炎びん投てき、投石、殴打などによりその身体等に害を加える目的をもつて、同日編成された防衛隊の第一隊に所属する約四〇名の学生らを東京都新宿区戸山町四二番地所在の同大学文学部二四号館一〇四番教室に集め、右学生らに対し見張りなどの任務分担を指示するとともに「全共闘が攻めてきたらこれを攻撃して撃退せよ、一歩たりとも入れるな」などと呼びかけ、かつ同教室に数十本の火炎びんが運び込まれるや火炎びんの投てき方法を指導するなどして右学生らの全共闘系学生らに対する迎撃の意思統一を図るとともに、同大学文学部正門、中庭付近等に多数のコンクリート塊、角材、火炎びん等の兇器を配備させ、もつて他人の身体等に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して人を集合させ、

(二)  同月五日午後八時ころ、前記のように多数の反帝学評派等の全共闘系学生らが前記早稲田大学文学部周辺地域に進出してきた際、その状況を察知し、前同様の目的をもつて、同日開催された革マル派の大政治集会終了後同大学文学部構内に残つていた約二〇〇名の革マル派学生らに対し「全共闘が地下鉄早稲田駅にきており、攻めてくるかも知れないから厳重に警戒して一歩たりとも中に入れるな」などと指示したうえ、同大学文学部一八号館二二一番教室に集合するよう命じ、同教室において緊急防衛隊を編成し、自らは同大学文学部正門防衛隊隊長となり、翌六日午前零時ころまでの間、右学生らに角材を携帯させて予想される全共闘系学生らの攻撃に対する迎撃の任務につかせるとともに、同大学文学部正門付近に多数のコンクリート塊、空びん等の兇器を配備させ、もつて他人の身体等に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して人を集合させ、

第二、被告人中村俊昭、同宮本幸夫、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同白石周行、同矢郷順、同和田洋一、同藤田紘、同浜田領助、同西津洋介、同小林春士、同浦野義弘、同村上文男は、いずれも革マル派に同調する早稲田大学学生(ただし、被告人藤田、同浜田は抹籍)であるが、昭和四四年九月五日午後八時ころから同月六日午前零時ころまでの間、前記のように多数の反帝学評派等の全共闘系学生らが前記早稲田大学文学部周辺地域に進出し、多数の革マル派学生らが、同大学文学部構内において、右状況を察知し、右全共闘系学生らが同大学文学部を襲撃してきた際にはこれを迎撃し、右学生らに対し共同して火炎びん投てき、投石、殴打などによりその身体等に害を加える目的をもつて、同文学部構内の要所に多数の角材、コンクリート塊、火炎びん等の兇器を準備して集合した際、いずれも同じ目的をもつて、

(一)  被告人中村俊昭、同宮本幸夫、同福島久司、同堀江博之、同浜田領助、同西津洋介は同月五日午後八時ころから同月六日午前零時ころまでの間、被告人田中武、同白石周行、同矢郷順、同藤田紘、同浦野義弘は、同月五日午後九時ころから同月六日午前零時ころまでの間、同所において、それぞれ多数のコンクリート塊、角材等の兇器の準備あることを知つて、右革マル派学生らの集団に加わつて集合し、

(二)  被告人和田洋一、同小林春士、同村上文男は、同月五日午後八時ころから同月六日午前零時ころまでの間、同所において、それぞれ多数のコンクリート塊、角材、火炎びん等の兇器の準備あることを知つて、右革マル派学生らの集団に加わつて集合し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(九月六日午前零時ころ以降の兇器準備結集、同集合を認めなかつた理由)

被告人杉浦迪也に対する本件公訴事実第二(判示第一(二)に相当)は、昭和四四年九月五日から翌六日朝までの兇器準備結集を、判示第二の被告人一四名に対する本件各公訴事実は、同月五日から翌六日午前六時二〇分ころまでの兇器準備集合をそれぞれ訴因として掲げている。

前掲証拠によれば、昭和四四年九月五日午後八時ころ、かねてから革マル派学生と反目抗争を重ねていた反帝学評派等の全共闘系学生ら多数が、同日東京都千代田区所在の日比谷野外音楽堂で開催された全国全共闘連合結成大会での革マル粉砕の行動指示に従い、前記のとおり「早大奪還」などとシユプレヒコールをしながら早稲田大学文学部周辺地域に進出してきたため、当夜同文学部をバリケードで封鎖占拠中の革マル派学生らも、右全共闘系学生らの襲撃に備え、これを迎撃するため、緊急防衛隊を編成したうえ、角材を所持するなどして緊急配備についたが、右全共闘系学生らは、両派の実力による衝突を予測し、これを未然に防止すべく警備配置についていた警視庁警察部隊によつて規制を受け、同月六日午前零時ころには同地域から完全に姿を消してしまつたため、同大学文学部構内にあつて前記のように緊急配備についていた革マル派学生らも、右状況を察知し、同日午前零時ころ、リーダーから全共闘系学生による同文学部襲撃の危険が去つたので解散する旨の指示を受けて緊急配備態勢を解いたこと、そこでそれまで緊急配備についていた学生らのうち相当数の者は、同文学部構内を出たこと、他方同月五日朝から同大学周辺に設置されていた警察の現場警備本部も、同月六日午前零時四〇分ころには、諸般の情報を検討した結果、当夜両派の間に衝突の事態が発生するおそれがなくなつたと判断し、同本部を解散したこと、そして同日午前零時ころから同日午前六時二〇分ころまでの間、同大学文学部周辺地域においては、全共闘系学生らによる同文学部襲撃の具体的な動きは見られず、また前記のように緊急配備態勢を解いたのち同大学文学部構内に残留した被告人ら(前記の被告人杉浦他一四名を指す。以下同じ。)を含む革マル派学生らにおいても、一部の者が交替でただ警戒のための見張りを続けた外は就寝するなどしており、全共闘系学生らに対し積極的に攻撃をしかけようとした形跡のないことはもちろん、右学生らの襲撃に備えて新たに迎撃態勢を組むなどの動きもなかつたこと、さらにその後警察官が別件の捜索差押のため同大学文学部構内に入り、被告人ら(被告人杉浦、同村上を除く。)を含む革マル派学生らを本件兇器準備集合の現行犯人として逮捕した同日午前六時四五分ころまでの間も、両派の動静には全く変化がなかつたことが認められる。以上の事実によれば、同月六日午前零時ころから同日午前六時四五分ころまでの間、全共闘系学生らによる同大学文学部襲撃の具体的な可能性は何ら存在しなかつたというべきであり、他方同大学文学部構内に残留していた被告人らを含む革マル派学生らも、積極的に全共闘系学生らに対し攻撃を加える意図がなかつたばかりか、右の状況を認識し、何の具体的な迎撃の態勢もとつていなかつたことが認められるから、このような状況のもとでは、この間たとえ一部の者が交替で警戒のための見張を続けていたとしても、これが全共闘系学生らによる襲撃の現実的可能性を予測し、これを迎撃する意図によるものでないことは明らかであり、したがつてその間、被告人らを含む革マル派学生らになお全共闘系学生らの身体等に共同して害を加える目的が存続していたものと認めることはできない。また同人らに全共闘系学生ら以外の者、たとえば警察官等に対し共同して害を加える目的があつたことを認めるべき証拠はない。してみれば、被告人杉浦迪也に対する本件公訴事実第二のうち昭和四四年九月六日午前零時ころから同日朝(検察官は同日午前六時二〇分ころと釈明)までの間の兇器準備結集および被告人中村俊昭、同宮本幸夫、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同白石周行、同矢郷順、同和田洋一、同藤田紘、同浜田領助、同西津洋介、同小林春士、同浦野義弘、同村上文男に対する本件各公訴事実のうち同月六日午前零時ころから同日午前六時二〇分ころまでの間の兇器準備集合の事実は、これを認めることができない。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件において警察官は、昭和四四年九月六日朝早稲田大学文学部構内において、被告人ら(被告人杉浦、同村上を除く。)を含む革マル派学生らを兇器準備集合の現行犯人として逮捕したが、当時右学生らには全共闘系学生らの身体等に共同して害を加える目的はなく、したがつて右学生らは何ら現に罪を行ない、または行ない終つた者ではなかつたのであるから、これを誤認してなした警察官の本件逮捕は違法であり、したがつて右の違法な逮捕を前提としてなした右学生らに対する本件勾留もまた違法であるから、その違法勾留中に作成された右学生らの検察官に対する各供述調書は、いずれも違法に収集された証拠であつて証拠能力がない旨主張する。

そこでまず本件現行犯逮捕が違法であるかどうかについて判断するに、(証拠略)を総合すると、本件において被告人ら(被告人杉浦、同村上を除く。以下同じ。)を含む革マル派学生らが昭和四四年九月六日午前六時四五分ころ、早稲田大学文学部構内で兇器準備集合の現行犯人として逮捕された経緯は次のとおりである。すなわち警視庁公安部理事官公安一課長事務取扱飯田蔵太は、同日午前六時三〇分ころ同庁第四機動隊長小池賢六指揮下の多数の機動隊員の支援のもとに、同公安部、同庁戸塚警察署および同庁牛込警察署に所属する警察官約一二〇名を指揮し、同月三日革マル派学生らにより同大学大隈講堂において敢行された兇器準備集合、公務執行妨害等被疑事件など別件の捜索差押令状二通に基き、同派の拠点である同大学文学部構内を捜索した際、同構内の建物屋上等の各所に大量のコンクリート塊、石塊、空びん、角材のみならず多数の火炎びんが配置されているのを発見したため、これら兇器の配置状況ならびに同派がかねてから同大学構内等において、しばしば全共闘系学生と角材、石塊を用いて衝突するなどして抗争を重ねていたこと、同月五日夜には多数の全共闘系学生が同大学文学部を襲撃するため同所付近に進出してきたとの報告を受けていたこと、および同文学部構内には強固なバリケードが築かれているうえ検問などのため革マル派以外の者は出入りすることができなかつたことなどから、革マル派学生が全共闘系学生の身体等に共同して害を加える目的でこれらの兇器を準備しているものと判断し、同月六日朝同文学部構内にいた被告人らを含む多数の革マル派学生らを現に右の目的をもつて前記の兇器を準備して集合しているものと認め、同日午前六時四五分ころ、前記小池賢六に対し右学生ら全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕されたい旨要請し、これを受けた右小池も右飯田と同じ判断のもとに部下の機動隊員に命じて、そのころ建物から出てきて校庭に集合し、すでに機動隊員によつて包囲されていた右学生ら一〇二名全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕したものであることが認められる。なるほど、証拠の標目掲記の各証拠によれば、同日午前六時四五分ころ同大学文学部構内に多数の火炎びん等の兇器が配備されており、かつ多数の革マル派学生らが集合していたことは認められるが、しかし同日午前零時ころ以降同日午前六時四五分ころまでの間、同大学文学部構内にいた被告人らを含む多数の革マル派学生らに他人の身体等に共同して害を加える目的があつたとは認められないこと前叙のとおりであるから、右学生らが同日午前六時四五分ころ、現に兇器準備集合の罪を行ない、または行ない終つたものでないことは明らかである。してみれば、警察官のした前記学生らの逮捕は、現行犯人として逮捕することができない者を現行犯人として逮捕した違法があるといわなければならない。

そこで次に本件勾留の効力について検討するに、なるほど刑事訴訟法第二〇四条ないし第二〇七条等関係規定の趣旨に照らすと、被疑者の勾留は、適法な逮捕を前提としてなされるべきものと解するのが相当であるから、逮捕が違法である場合には、その逮捕中にこれを前提としてなされた検察官の勾留請求は、不適法として却下すべきものであるが、しかし勾留に関する処分を担当する裁判官がいつたん適式な手続を経て勾留請求が適法であり勾留の要件があると判断し、勾留状を発付した以上、逮捕の違法は当然には勾留の効力に影響を及ぼさないものと解するのが相当である。なぜなら、被疑者の勾留は、裁判官の権限に属し、裁判官が法定の手続に従い勾留の要件の存否を判断したうえでする裁判に基づく処分であり、その裁判は、準抗告の手続により取り消されない限り、裁判としての効力が保障され、検察官および被疑者を拘束し、その後の訴訟手続を規制するものだからである。公判の段階において、より多くの証拠が取り調べられたことなどにより、勾留の要件が当初から存在しなかつたことが判明したからといつて、その勾留の効力を否定し、その勾留中の被疑者の取調べまでも違法とすることは、著しく法的安全性を害する結果となるので、許されないものと解すべきである。勾留の裁判が当初から無効であるということは、ありうるとしても、それは勾留手続の過程に重大かつ顕著な過誤がある特殊な場合に限定されなければならない。本件において、前記のように違法に逮捕された被告人らおよびその他の学生らのうち相当多数の者が勾留されたことが認められるが、裁判官が適式な手続を経ないで勾留状を発付したことを認めるに足りる証拠はないから、本件各勾留状は、裁判官が適式な手続を経て、勾留請求が適法であり勾留の要件があると判断して発付したものと認めるべきであり、かつこれを無効とするような特殊な事情が存在したことは何ら認められない。したがつて、右学生らに対する各勾留は、違法な逮捕を前提とするものではあるが、それ自体は有効であると解すべきであり、その勾留中にした検察官または司法警察員の被疑者に対する取調べは、逮捕が違法だつたという理由で違法であるということはできない。してみれば、本件において証拠とした被告人らおよび革マル派学生らの勾留中に作成された検察官に対する各供述調書は、いずれも違法に収集された証拠とはいえない。よつて弁護人の前記主張は理由がない。

(確定裁判)

(一)  被告人中村俊昭は、昭和四五年七月一六日東京地方裁判所で建造物侵入罪により懲役八月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は、同月三一日確定したものであつて、この事実は、(証拠略)によつて認める。

(二)  被告人福島久司は、昭和四五年六月六日東京地方裁判所で兇器準備集合罪により懲役一〇月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は、同月二一日確定したものであつて、この事実は、(証拠略)によつて認める。

(三)  被告人和田洋一は、昭和四五年七月一六日東京地方裁判所で建造物侵入罪により懲役七月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は、同月三一日確定したものであつて、この事実は、(証拠略)によつて認める。

(四)  被告人西津洋介は、昭和四五年六月六日東京地方裁判所で兇器準備集合罪により懲役一〇月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は、同月二一日確定したものであつて、この事実は、(証拠略)によつて認める。

(五)  被告人浦野義弘は、昭和四五年七月一六日東京地方裁判所で建造物侵入罪により懲役八月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は、同月三一日確定したものであつて、この事実は、(証拠略)によつて認める。

(法令の適用)

被告人杉浦迪也の判示各所為は、いずれも刑法第二〇八条の二第二項前段に、被告人中村俊昭、同宮本幸夫、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同白石周行、同矢郷順、同和田洋一、同藤田紘、同濱田領助、同西津洋介、同小林春士、同浦野義弘、同村上文男の判示各所為は、いずれも同法第二〇八条の二第一項後段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、兇器準備集合罪については所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人杉浦迪也の以上の各罪は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い判示第一(二)の罪の刑に法定の加重をし、被告人中村俊昭の右罪は前記(一)の確定裁判のあつた建造物侵入罪と、被告人福島久司の右罪は前記(二)の確定裁判のあつた兇器準備集合罪と、被告人和田洋一の右罪は前記(三)の確定裁判のあつた建造物侵入罪と、被告人西津洋介の右罪は前記(四)の確定裁判のあつた兇器準備集合罪と、被告人浦野義弘の右罪は前記(五)の確定裁判のあつた建造物侵入罪と、いずれも同法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条により、まだ裁判を経ていない右被告人中村俊昭、同福島久司、同和田洋一、同西津洋介、同浦野義弘の判示各罪につきさらに処断することとし、それぞれその刑期の範囲内で、被告人杉浦迪也を懲役一年に、被告人小林春士、同村上文男を各懲役一〇月に、被告人宮本幸夫、同白石周行、同和田洋一を各懲役六月に、被告人中村俊昭、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同濱田領助、同西津洋介、同浦野義弘を各懲役四月に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中、被告人宮本幸夫に対し一四〇日を、被告人和田洋一に対し一三〇日を、被告人白石周行、同小林春士に対し各一二〇日を、被告人杉浦迪也に対し八〇日を、被告人福島久司に対し七〇日を、被告人浦野義弘に対し五〇日を、被告人中村俊昭、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同濱田領助、同西津洋介に対しそれぞれその刑期に満つるまでの分を、その刑に算入し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から被告人杉浦迪也、同小林春士、同村上文男に対し各二年間、被告人宮本幸夫、同白石周行、同和田洋一、同中村俊昭、同福島久司、同堀江博之、同田中武、同矢郷順、同藤田紘、同濱田領助、同西津洋介、同浦野義弘に対し各一年間、それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により右被告人一五名に対しいずれも負担させないととする。

(無罪部分の理由)

被告人富沢慎吾、同小林敏之に対する本件公訴事実は、いずれも「被告人は、東京都新宿区戸山町四二番地所在早稲田大学文学部建物を占拠している全日本学生自治会総連合(革マル派)傘下の学生であるが、昭和四四年九月五日から同月六日午前六時二〇分ころまでの間、右文学部構内において、右学生らとかねてから対立抗争している全学共闘会議系学生らの攻撃に備え、これに反撃して多数の学生らとともに共同して投石、殴打などの暴行を加える目的をもつてコンクリート塊、角材、火炎びん等の準備あることを知つて集結し、もつて多数共同して他人の身体財産に対し害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて集合したものである。」というにある。

そこで被告人富沢慎吾、同小林敏之の本件当日の行動について検討するに、被告人富沢は、当公判廷において、本件当日の自己の行動につき次のように供述する。すなわち「昭和四四年九月五日早大文学部構内において革マル派の政治集会が開かれたが、当時全学連の副委員長に就任することが内定していたことから、これに備えて同集会終了後、同集会に講師として出席していた森茂と話し合いをすることになつていたため、このことが気にかかり、同集会には一、二分顔を出しただけであとは同文学部構内の第一文学部自治会室隣りの教室で右の話し合いにあたつて討論すべき内容を簡単にメモするなどしてその準備に専念し、同集会終了後右森と相前後して同文学部構内を出て新宿区戸塚一丁目付近の朝鮮料理屋に赴き、話し合いをしたのち同月六日午前零時三〇分ころ、置いていた荷物を取りに同文学部に戻つたが、終電車の時間ぎりぎりであつたため、結局帰宅を断念して泊り込んだ」旨供述する。そして被告人小林敏之の当公判廷における供述ならびに坂元真理男の検察官に対する昭和四四年九月一八日付供述調書を総合すると、政治集会が終了したのは同月五日午後七時三〇分ころで、前記森茂が同大学文学部構内を出たのもそのころであつたことが認められる。してみれば被告人富沢は、同日午後七時三〇分ころから同月六日午前零時三〇分ころまでの間、同大学文学部構内にいなかつたことになるが、他に同被告人がこの間、同大学文学部構内にいたと認めるに足りる証拠はなく、その間同被告人につき集合の事実は認められない。

次に、被告人小林敏之は、当公判廷において、本件当日の自己の行動につき次のように供述する。すなわち「私は、昭和四四年九月五日午後二時ころから早大文学部構内で開かれた革マル派の政治集会の実行委員として、同集会に来賓として出席した革命的共産主義者同盟革マル派の森茂および各地区反戦青年委員会の代表者らの案内、接待等に従事していたが、同集会終了後の同日午後七時三〇分ころには右森らと共に同文学部構内を出て、同集会の総括等を行ない、同日午後一一時ころ同文学部構内に戻つた。同文学部構内に戻つてからは同文学部二四号館一階の部屋で一時間半位、実行委員会の人達と政治集会について総括を行ない、その後就寝した」旨供述する。してみれば、被告人小林敏之は、同日午後七時三〇分ころから同日午後一一時ころまでの間、同大学文学部構内にいなかつたことになるが、他に同被告人がこの間、同大学文学部構内にいたと認めるに足りる証拠はなく、その間同被告人につき集合の事実は認められない。ところで、有罪部分の証拠の標目掲記の証拠によれば、同被告人が同大学文学部構内に戻つた同日午後一一時ころ同構内においては、多数の革マル派学生らが全共闘系学生らの襲撃に備え、これを迎撃すべく同文学部正門、中庭などの各所で角材等を所持して緊急配備についていたことが認められるから、同被告人が帰校の際、これらの異常な状況を現認したであろうことは容易に推認し得るところであり、同被告人の供述によつて認められる同被告人が革マル派の同調者であること、当夜全共闘系学生らが同文学部周辺地域に進出してきたことを知悉していたこと等に鑑みれば、特段の事情が認められない限り、右革マル派学生らの右行動に加わつたものと推定されるであろうが、同被告人は、前記のように「同日午後一一時ころ同文学部構内に戻つてからは、同文学部二四号館一階の部屋で一時間半位、実行委員会の人達と政治集会について総括を行なつていた」と述べているので検討するに、(証拠略)によれば、中島は、検察官に対し「同月六日午前零時ころ、同文学部二二一番教室で専大の者は三隊だ、屋上の見張りにつけ、と指示されたが、指示したリーダー格の男はこの写真の三二番の眼鏡をかけた男のようであつた」旨述べて検察官が提示した被告人小林敏之の併列写真を指示したことが認められるが、他方中島は、検察官に対する同月一九日付供述調書において「指示した男が前に述べた三二番の男であつたとは断言できない」とも供述しているのであるから、中島の供述もいまだ同被告人の前記供述を覆すに足りず、また同被告人が同月五日政治集会の実行委員として来賓の案内、接待等の仕事に従事していたことは同被告人の前記供述によつて認められるところであるから、その任務の内容等に鑑みれば、同被告人の弁明する当夜の行動も決して納得し難いものではなく、他に同被告人の右弁明を覆すに足りる証拠もないから、同被告人が、帰校後の同日午後一一時ころから同月六日午前零時三〇分ころまでの間、全共闘系学生らの襲撃に備え、これを迎撃するため、革マル派学生らの集団に加わり緊急配備につくなどしてこれと行動を共にしていたものと認めることはできず、同被告人が他人の身体等に共同して害を加える目的で集合したことは認められない。

そこで次に、右被告人両名につき、同月六日午前零時三〇分ころ以降の犯罪の成否について検討するに、右被告人両名が同日午前六時四五分ころ逮捕されるまでの間同文学部構内にいたことは認められるが、同日午前零時ころ以降は、全共闘系学生らによる同文学部襲撃の具体的な可能性がもはや存在せず、全共闘系学生らの襲撃に備え緊急配備についていた革マル派学生らも右の配備を解いて一部の者がただ警戒のための見張を続けていたにすぎなかつたこと、右革マル派学生らに共同加害の目的の存続していたことが認められないことは他の被告人らについて前に認定したとおりであり、同じ証拠によりこれを認定する。このような状況のもとでは、同日午前零時三〇分ころから同日午前六時二〇分ころまでの間、右被告人両名が全共闘系学生らによる同文学部襲撃を具体的に可能なものとして認識し、その身体等に共同して害を加える目的があつたものと認めることはできない。また、その他の者の身体等に共同して害を加える目的があつたことを認めるべき証拠はない。

以上によれば、右被告人両名に対する前記各公訴事実は、いずれも犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により被告人富沢慎吾、同小林敏之に対しいずれも無罪を言い渡すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

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